投稿者: J. P. Stoner

  • エプスタイン事件の見落とされている面

    最近は英語でエプスタイン事件についての文章を書きましたが、その内容の多くは英語圏のマスコミや大学教授への批判になるので、日本の読者にとっての関連性が疑わしくても、日本語でも概要だけを提供したいと思います。

    資産家ジェフリー・エプスタイン氏を巡る事件に関する報道の多くは、誰がエプスタイン氏が運営していた人身取引組織について知っていた、または参加したという大事な問題を取り上げている。その中、エプスタイン氏の仲間の輪には学界の大立者が多数いたという事実もある程度の注意をひいてきたけど、その面でも「エプスタイン氏との関係があったこと」自体の恥ずかしさのみを強調する日記が多くて、エプスタイン氏のような資産家などが学界に手を出す実用的な理由や動機などは考えられることがありません。

    マスコミが他のネタに集中していた2020年、ハーバード大学とMITはエプスタイン氏のそこでの活動に関する報告を出版しました。その報告は、エプスタイン氏の特定の研究者への財政貢献といった詳細を含みます。

    エプスタイン氏が支配していた研究者全員は、いわゆる社会生物学(ソシオバイオロジー)や人工知能など、公平な科学であるフリをする覇権的イデオロギーを発表していることが共通項です。これは考慮する価値があると私どもは思いますが。

  • 長期的な社会的孤立の実感

    自分の人生経験に基づいたこの文章はもともと英語圏の読者を仮定し、英語で書いたのですが、その視野を日本での読者へも伝える価値があるんじゃないかと思い、日本語翻訳も提供させていただきました。

    アナタには友達がいない。実は友達と言える人がいないのは数年間、または数十年間続いている状況だ。他人とのコミュニケーションがある場合、それは通り一遍に過ぎない。アナタは感情の面では栄養不良で、縁や共同体感覚、連帯感、同情心、交遊、親しみ、愛の恩恵を上げたり、受けたり、共有したりする機会もない。体調も悪くなってきた。もし健康に良い習慣を守れても、アナタの日常生活に特有のおびただしいストレスに見合える気付けがないため、心臓には負担はかけられている。特に深刻な時は眠れなく、心臓も心も落ち着けなく、頭がうずくほど、孤独が深くなってきた。支配が足りなくて、どの試みもモタつく。縮みつつある自分の心の境界の外からの刺激もなく、アナタの周りには良い・心強い・ほほえましい・かわいい・面白い事は滅多に起こらない。ひるむときは誰も助けてくれない。輝くときは誰も気づいてくれない。

    こんな状況になってくる道といえば、ずっと一人だったという場合はある。多分、育ちがそんなに明るくなかった。他人に近づかれるにつれて疑わせられるような経験があるかもしれない。周りに比べて貧乏な育ちという事情があったなら、おそらく学校などではいじめられたこともある。障害と仕分けられる特性があるという可能性もある。もしかしたらアナタはどこかで違う、と他人に見られるかもしれない。「縁」という概念も決して解き明かせない謎に見えるときもある。

    他の可能性としては、アナタの孤立は少しずつ高じてきた状態というのもある。学生の頃は友達がいたが、いろいろな理由で時とともに連絡を失った。その理由は相当アナタが感じる恥、または人への不信に貢献してきた。

    孤立になってしまった前、一度恋愛関係もあったという場合もある。恋愛関係になれるような年齢になったころまでには、アナタの交際の範囲はもうかなり細めてきた。多分、アナタにとっては恋人は唯一の友達で、ほとんどの感情的な栄養の由来という存在でもあった。あの人のアナタへの依存も同様だったかもしれない。やっぱり、もともとアナタたちを一緒にしたのは共通の苦しみだったな。まもなく、認識されたアナタの欠陥をわかり、認めてくれただけではなく、温かく受け入れてくれた人とつながり合えたことを信じがたい幸運だと思ってきた。輝いていたあの人の魂が生み出した癒しの避難所の中、初めて真の自由を実感した。包囲されていた心が奮い起こせたすべての感情で、アナタはあの人を愛していた。それに、アナタの不完全な愛し方があの人を喜ばしたのを見て信じることがもたらした昂揚を感じた。二人は未来や家族になること、一緒に年をとることについて話し合い、一緒に想像していた生活はアナタの夢になり、すべての努力の勢いになった。しかし、関係は結局続かなかった。あり得る理由としては、それぞれの事情や恋人の死、越えられなかった差異などがあるが、多分、恋人は自分の苦しみに加えてアナタの苦しみに向き合うのを難しく思い、または危機の中、恋人はより良い運命を値したと考えたため、関係を終わりにしたのはアナタだった。その場合はわかりやすく説明できなかったゆえ、本当には何が起きていたかとか、どのような間違いをしたかとか、愛していた人の心に辛い質問を残してしまった。そんな結末から流れている後悔や自己嫌悪はあの時から、人との関係を築き始められない状態に貢献している。

    もし雇用されていても、その仕事はアナタをさらに孤独にする。人とのコミュニケーションが必要な仕事でも、その詳細またはアナタの確認された欠点がそこで発生する関係を浅薄なものに制限する。最近は下請けとしてテレワークをするという事例が多い。その場合、実際に働くより、仕事を探すために時間がふさがっている。そのような事情では金を儲けるのも難しく、しかも転職を可能にするような資格を取得できるという希望がさらにしぼませられる。

    暮らしの状況としては、一人暮らしで人との自発的なコミュニケーションが全くないとか、相性の合わないルームメイトがいるほかに、楽観的に言っても微妙な関係の両親と暮らしているという場合もある。家族の役に立つためにできるだけ努力しているけど、それに従って自分の状況を改善するための時間や体力が減っている。アナタが人生を変えるために必要な手伝いをしてくれることとしては、周りの人たちはできなく、または気がない。アナタは自分の問題が周りの人たちの問題にならないよう頑張っているけど、それは多少できても、結局は深めている不満がきっと目立つようになる。その時は何より、周りの人たちがアナタの事情を扱いながら見せる悲しみ・苛立ち・恥ずかしさ・無関心を強調する。

    遠い昔のことに、アナタの目線は釘付けになっている。現在の生活への不満のため、過去について瞑想する抑え難い理由は二つある。一つはこんな状況になったのはなぜだとわかっていたくて、現在に貢献した出来事(=自分の失敗・自分が経験した他人の行動・事故・関係の決裂などなど)に気を取られているのだ。もう一つは、過去はアナタが経験したすべての幸せの居場所であること。あの幸せな記憶を考えるのはまだ気持ちいいんだが、あの時代はもう過ぎ去ったという認知に伴われるのも仕方がない。アナタの心では、あの記憶に出る人はあの時代以来感じていない喜びに密接に関連付けられて、どうしても届かない理想に近いものに変化している。

    可能な場合、専門的な支援を受けるという選択肢もある。医者に診てもらったなら、多分うつ病及び不安障害、それに他の精神病の一類と診断されたかもしれない。心理療法またはカウンセリングを受けた場合、ある程度役に立ったかもしれない。自分の不合理で自滅的な思考をキャッチし、意思決定に影響を及ぼすのを防ぐようになったのも可能だ。特に幸運な場合、結局は状態を大部分超えられたと信じるようになった。その達成感の後を追うのは、より正しくなった思考だけでは日常の事情が変わるわけではないという痛感だ。より良い友人とか恋人になれるポテンシャルを達しているという自己評価自体では、誰もアナタの友人とか恋人になりたくなるわけでもないけど、アナタの憧れだけは強まる。逆に、受けた療法は全く役に立たなかったという可能性もある。

    新しい関係を築くのが難しい。もし利用されたり家族の世話をしたりするなら、時間がないし、近いうちに変わりそうにない現在の暮らしの事情のため自由もプライバシーもない。とにかく、何らかの詐欺師・濫用者などでない人は決して付き合ってくれない、とアナタは非可逆的に確信している。アナタは自分を醜く性格が不愉快で、習慣や経歴は人をはじくことだらけだと思う。多分、ここ約20年のうちにセラピスト以外の人にも心を開きようとしたこともあるけど、その時の反応も思わしくなかった。例えばアナタはつまらない人とか、アナタの人生はつまらないとか、文句言いすぎるとか、アナタの存在全体は意気消沈させてしまうとか。SNSまたはマスコミにかなり接している場合、そういう悲観的な影響はアナタの良い経験の欠乏と組み合わせて、総じて人類への見方を好ましくなくさせ、さらに接触へのモチベーションも下火にさせている。

    自己表現は無益になってきた。そもそも誰かにアナタの文章を読んでもらったり、アートを鑑賞してもらったり、音楽を聴いてもらったり、ゲームをやってもらったりする手段がない。牽強付会のシナリオを想像しても、どうか観客を呼べていてもそれにはアナタの考えを病理的な視野から見て、棄却しやすく感じる。それは、アナタは孤独・怨めしい・嫉妬深い・メンヘラ・負け犬・引きこもりなどだからとのこと。人生がより良いだった頃を思い出せたら、あの頃は物事への考え方はやっぱり違ったとも思い出せる。あの時代以来の経験の結果、たくさんのことについてのアナタの考え方や思い方は間違いなく変わってきた。その変化自体は他人を失望させている。

    限られた選択肢の中、アナタは人間同士との接触を、前もって悪い結果を確実にするような方法で探し求める。多分、SNSなどもやってみたが、自分が烙印を押されていることや周辺化されていることにアナタは常に直面していて、自尊心がさらに下がってしまった。たまには、誰かにアナタの存在を承認されたくて、昔知っていた人に連絡してしまう。その理由を素直に伝えるか口実を作るかどちらにしても、きっと自分の問題にも向き合っている誰かをアナタの憂身に晒してしまったのですぐに後悔し始める。とにかく、もし受取人は昔の友達・同級生・同僚などだったら、多分返事は来ない。アナタを思い出せないかもしれない。もし一度恋人がいた場合、もちろんあの人がこういう呼ぶ声のもっとも当然な受取人になり、ならば返事が来る可能性も高くなるが、そのあとの後悔も強くなる。元恋人はアナタを愛していたので、かなり情け深い人だろうし、優しい言葉を言ってくれるのもあり得ないわけじゃない。しかし、あの時代から経った時間に、あの人はもう乗り換えたのもほぼ確実になる。その旨の知らせを受けると、再結成というアナタの夢は破壊的な一発を撃たれる。あの人の状況は付き合っていた頃以来改善しているとアナタは望んでいたけど、そうでないならアナタはそれを自分のせいだと思い、実際に改善しているなら嬉しいんだが、あの人がアナタのそばにいてくれたらいいのにって思ってしまうのも否定できない。絶望的で利己的なこの憧れには、自己嫌悪の理由をもう一つ見つけた。どうして愛していると主張する人のために純粋に喜ぶことができないの?今でも抱いている気持ちを伝えてしまう場合、昔に幸せの由来だったアナタの愛はそれ以下悲しみとか不安とかいらだちの由来になってしまったという、アナタの人生がどれだけ悪夢になってきた圧力的な証拠に直面する。

    愛と言えば、こんなに長い間独身であることも、アナタの存在に気付いている人にとっては心配の種になっている。女性であるなら、結婚したり子供がいたりしてないため、予想しうる罪悪感を持たせられる。男性であるなら、家族や同僚、隣人などがアナタを何らかの変態だという容疑がかかるとアナタは思わずにいられない。多分変態などではないけど、アナタが抱いている「普通」の欲求はそれにしても恥に伴われる。なぜなら、その欲求が人に気づかれたら、嫌悪感に遭うからだ。

    過去の探求の中、アナタの人生がこうなったのは完全にアナタのせいではなく、他の要因もあったことを示す証拠をあぶり出したかもしれない。今まではお別れに貢献した行動をした自分を部分的に許せるようになってくる場合もある。そういう場合ではああいう行動ができるようにアナタに影響を与えた事情や社会的勢力に相当怒るようにもなることも珍しいことではない。その怒りは他人との薄っぺらなコミュニケーションにしみわたりやすくて、アナタをさらに隔てる。何か出来たくてたまらないけど、怒りは無力という状態を超えないとわかっている。

    年月が経つと、かつて楽しんでいたことから得る喜びはますます少なくなる。知的な面では、まだまだそのことの良さを認められるけど、接触する瞬間での美しさや良さへの感謝がうつろで欠けている。きれいな花を見るときは、花が好きだった昔の誰かを思い出す。いい音楽を聴くと、似たようなセンスがあった誰かと一緒に聴くのが恋しくなる。面白いジョークを聞いたら、誰かの笑い声も聞けたらいいのにって思う。夕食を作るとき、誰かに作ってやるのを空想してしまう。一度特に親しい人がいたなら、何でも触れ合うとあの人を思い出し、あの人がいない結果で失ってしまったすべてを思い巡らさせる。現実逃避を提供してくれるといわれるモノはアナタにとってそういう結果がない。SF作品を見ながら現実について瞑想したり、ベートーヴェンの交響曲9番を聴きながら孤独に弱り衰えさせた選択を後悔したり、ゲームであれこれ荒廃させながら自分の力の無さを悲しんだりできることがわかる。読書が特に難しくなってきた。文は目にされても、心は他のところにある。

    アナタの人生がこんなに空虚で充実してなくても、世界中にもっと悪い事情に向き合っている人たちがいるという事実もよくわかる。人類が我慢しなければならない苦痛について知れば知るほど、自分の悲しみは積み重ねる。処し方としては露出を制限するなどがあるけど、さもなければ人に価値があることを可能にするような暇及び資源、人脈がないという状態を嘆くしかない。この世の問題になると、アナタはただかつてならよりよく利用されたかもしれないスペースを取っている。

    このままの人生にうんざりしてきたのはずっと前だった。もちろん、自決という選択肢やその方法についても考えたことがあるが、その道を行くのを引き止めた何かがある。もしかしたら儚くても希望の光が見え、とある条件下では状況が変わるのもあり得ないことではないと想像できるかもしれない。アナタと元恋人二人がまだ生きている限り、理屈では縒りを戻す可能性はあるという理由づけもできる。多分、アナタの死体を見つけるというショックを誰かにさせ、または行方不明のアナタを捜す義務を負わせたくない。結局は絶望が希望や思いやりを追い越す日が来れるという認識を持ちながら、とりあえず続行している。その反面、体調も限界に至るというのも可能だ。今のアナタの考え方によれば、それが最良の結果になるかもしれない。